読書感想文

「「好き」を言語化する技術」(三宅香帆)を読んで

 

 アラフィフィ、49歳、この歳になって「推し」ができた。

 若い頃は、人並みに女性アイドルが好きだったし、好きなミュージシャンもいた。

 しかし、仕事に家庭に忙しくなってきた、この歳になって、あまりそこまで、人に対して熱中することは少なくなってきた。若いアイドルの顔も、全て同じように見えてしまい、学生の時みたいに熱をあげることはない。

 しかし、そんな自分にも、推しができた。

 飽き性の自分のことだから、最初はすぐに飽きてしまうかなと思っていたが、これがなかなか飽きない。ライブに行くし、グッズも買う。YouTubeで推しの動画や、推しの曲のリアクション動画を漁るように見る。

 最初はそれで収まっていた。しかし、次第に、それでは、納得がいかない。

 自分の持論として、「何事も、自分がやるほうが、何倍も楽しい」というのがある。例えば、小説を読むより、自分で小説を書いたほうが100倍楽しい。もちろん、簡単には書けないし、書き上げる産みの苦しみは大きい。そして、頑張って書いたからといって、大した小説は生まれない。けれど、自分で小説を書き上げたという満足感は、決してベストセラーの小説を読み終えた時には感じられないし、それ以上のものがある。

 今回も、推しのリアクション動画を見まくってて、「俺もこれ、作ってみたい」と思った。推しの良さを伝えたいとか、そんな崇高な理由なんて、ない。

 ただ、「やってみたい」だけ。

 けど、いざやってみると、これが、なかなか難しい。

 「すごい」「すばらしい」「やばい」「感動する」

 ありふれた、単純な言葉しか毎回出てこなくて、自分は推しをうまく表現できていない気がする。

 しかも、みんなが言ってることとの差別化が、あまりできてないような気がしてきた。これ、他のみんなが言ってることと一緒じゃない?この動画作る意味ある?

 そんな停滞感が続いた時に、X(旧twitter)で見つけたのがこの本「「好き」を言語化する技術」だ。タイトルを見て一発で、「ああ、今の俺に必要な本はこれだ」とAmazonですぐにポチった。

 読み終えて感じたことは、推しについて書くための技術が、きれいに網羅されていて、本当に素晴らしい本だということ。けれど、それは決してこの本の中心ではない。この本の中で、自分が一番衝撃的だったのは、推しの感想を書く時に、まずは人の感想を読まないということだ。

 ついつい、推しのライブのあとはみんなと共感したくて、SNSをのぞいてしまう。けど、人の感想を見るうちに、いつの間にか、人の感想が、あたかも自分の感想のようになってしまうということだ。

 大事なのは、あなたがどう思っているかだ。他人がどう思っているかではない。ならば、人の感想はまずは見ない。あなたの感想を掘り下げて、具体的に言葉にすることの大切さをこの本はうたっている。そして、SNSの言葉の波の中から自分を守り、自分自身の言葉を身につけることの大切さをうったえている。

 大谷選手が世界で活躍している時に、アメリカのニュース番組でいい年をしたおじさんが、キャッキャと嬉しそうに大谷選手のことを話しているのを見るのが、自分は大好きだ。

 普通は、可愛くもない、50代のおじさんたちを、自分から見ようとは思わない。その人が好きだという気持ち、その気持ちに共感して、その素晴らしさを代弁してくれてるところに、気持ちよさを感じる。

 自分も同じように、単なるおじさんなのだけど、推しを好きな気持ち、それが誰かの共感につながり、少しでも誰かが楽しいと思ってくれたら嬉しい。そんな「好き」を言語化する技術を、この本で少し学ぶことができました。

 この本に書かれたことを、ひとつずつ実践してみて、まずは自分の「好き」を自分の言葉で表現できたらいいなと思う。