読書感想文

「モモ」(ミヒャエル・エンデ)を読んで

 ここ最近、名作と言われるけど、読んでない本を探して読んでます。特に児童文学の名作は意外と読んでないものも多く、文章も平易で、読みやすいです。やはり、名作にハズレはありません。

 今回手に取ったのは、ミヒャエル・エンデ作の『モモ』です。

 

 あらすじは、ある都市のはずれ、かつての遺跡であった円形劇場に、いつのまにか、モモという女の子が住み着きます。彼女には不思議な力があって、彼女に話を聞いてもらうと、自然と自分の心が落ち着き、悩み事が解決していくのです。町の大人や子供たちはその不思議なモモを受け入れ、お世話をしつつ生活していました。

 しかし、ある時、「時間貯蓄銀行」から不気味な灰色の男たちがこの町にやってきます。彼らは、まずは順番に大人から狙いを定めて、時間を節約して自分たちの時間貯蓄銀行に預けると幸せになれると言いくるめ、人々の生活を節約志向のセカセカした生活に変えさせます。

 節約のために、無駄なことは一切省き、短時間で効率良く、大人たちはいつの間にか、そんな働き方ばかりになってしまいます。子どもたちは、大人にかまってもらえず、物ばかり与えられて、円形劇場の公園で集まってモモ達と遊んでいます。

 そんな中、モモにも灰色の男達の魔の手が襲いかかります。なんとか逃れ、マイスター・ホラという時間を司る、不思議な老人の所にたどり着きます。

 その間、ついに子どもたちにも灰色の男達の魔の手が伸び、すっかり町の人たちは、効率や役に立つことだけを優先した、セカセカした人たちばかりになってしまいます。みんな同じような形の家に住み、同じような食事を素早く、つまらなそうに食べています。

 モモがマイスター・ホラの所から帰ってきて、なんとか昔の仲間を探して見つけだすのですが、みんな時間が大事な世界に生きていて、モモにかまってはくれません。

 モモはなんとかみんなを救おうと、未来が見える不思議な亀、カシオペイアとともに、時間貯蓄銀行にためられた時間の花を開放し、灰色の男達を消滅させ、最後には、人々に生き生きとした時間を取り戻すことに成功するのでした。

 

 「星の王子さま」を読んだ時も思ったのですが、名作の児童文学では、とても大人たちの世界を、あるキャラクターに例えて、暗に批判していることが多く、読んでいて、ドキッとさせられることがあります。

 特に今回出てくる「灰色の男達」ですが、彼ら自体は決して元からそこにあった存在ではなく、人間たちが生み出してしまった存在なのです。

 敢えて言えば、それは「お金」だったり「時間」だったり「物」だったりするのかもしれません。自分たちが便利になるために作り出したモノに、逆に支配されて、反対にそのモノのために生きるようになってしまう、人間達を風刺しているかのようです。

 

 モモはどこから来たかも分からない貧しい浮浪児ですが、人の話をよく聞いて、みんなの心を豊かにし、子どもたちと楽しい遊びを考えて、一緒に遊んでいます。

 本当に幸せに生きるということが、どういうことなのか、我々は何のために生きているのか、自分たちが便利になるだろうと思って作り出した、お金や物に逆に支配されていないか、考えさせるミヒャエル・エンデの名作でした。

 毎日が何かに追われてるように感じてるあなたに、ぜひ一読をおすすめします。